兵庫県西宮市への法事の途中に「鳴尾球場跡地」

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兵庫県西宮市への法事の途中に「鳴尾球場跡地」

つぶやき

2018/07/18 兵庫県西宮市への法事の途中に「鳴尾球場跡地」

鳴尾球場場跡地

兵庫県西宮市への法事・・・・

お参りも立て込んでおり、時間の余裕がなく、スクーターでそのまま高速で現地へ向かいます。

しかし、思いのほか早く着き、時間調節です。

車であれば、どうってことないのですが、この酷暑です

公園で木陰を求め探していると「鳴尾球場跡地」のモニュメントを発見しました。

そこには、以下の説明がありました。

鳴尾球場跡地

全国高等学校野球選手権大会の前身である全国中等学校優勝野球大会は1915年(大正4年)大阪・豊中球場で産声をあげ、1917年(大正6年)の第三回大会から鳴尾球場に会場を移した。第四回大会は「米騒動」のため全国大会が中止されたが、以後、1923年(大正12年)の第九回大会まで六回の大会がこの地で行われた。

鳴尾球場は1907年(明治40年)関西競馬場倶楽部(のちの阪神競馬倶楽部)が建設した鳴尾競馬場をその後、阪神電鉄が借り受け、同球場内に開設したものである。走路の内側、約十六万五千平方メートルに二面のフィールドを設け、木造移動式スタンドを周囲に並べて、五千ないし六千の観客を収容した。

全国参加校が第一回大会の七十一校から増加の兆しを見せ、代表校数も十校から次第に増えた。フィールドが一面の豊中では、五日間の会期で開催が困難になったのが移転の大きな理由でもある。

鳴尾に移ってから「中等野球」の人気は年ごとにあがり、第六回大会ごろから詰めかける観衆をさばき切れなくなった。第九回大会の準決勝、甲陽中学ー立命館中学では、観衆が場内に流れ込み、試合続行が一時不可能となる有り様だった。こうした事態が阪神電鉄に甲子園球場の建設を決心させた。

高校野球の 聖地 「甲子園」誕生のきっかけとなった鳴尾球場を永久に銘記するため、その跡地に石碑を建設した。

1993年(平成5年)8月6日

朝日新聞社
日本高等学校野球連盟
西宮市

夏の高校野球地方予選真っただ中

高校球児のみなさん、「甲子園」めざしてがんっばってください。

 

法事も定刻少し前に到着し、定刻通り大勢の皆様の前でお勤めさせていただきました。

 

 

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