06-6472-4867
〒555-0032 大阪府大阪市西淀川区大和田5-17-7
時宗(じしゅう)とは
開祖
時宗とは浄土宗西山派だった一遍上人(いっぺんしょうにん)(1239年~1289年)によって開宗。熊野権現(くまのごんげん)より神託を受けた1274年を開宗の時とする。
一遍上人が念仏をとなえながら全国各地(北は岩手の陸奥から南は九州大隅)を布教のために遊行したところから『遊行宗』とも呼ばれ、一遍上人も『遊行上人』とも呼ばれている。
その特色は、鉦や太鼓などを打ち鳴らし、念仏をとなえながら踊り歩いて、宗教的法悦にひたるという“踊り念仏”にある。
時宗は今でこそ、全国寺院数410ヶ寺ほどの小さな宗派にすぎないが、南北朝から室町時代にかけては大きな勢力があった。全国各地に遊行僧がちらばっていたので、南北朝の動乱期には従軍僧や密使として活躍していた。さらに、室町文化の成立にも時宗の僧たちが多くの役割をはたした。
ことに、兼好、浄弁、慶運とともに、和歌四天王と呼ばれた頓阿(とんな)が有名である。
一遍上人の跡は、弟子の他阿(たあ)真教上人が継ぎ(一遍上人は自阿【じあ】という)、諸国に道場を開いて宗門の基礎を固めた。以後、代々の宗主が他阿の名を冠している。
名号札
この他力念仏をすべての人々にすすめ、もろともに極楽浄土での往生を願った一遍上人は、生涯を通じて「南無阿弥陀佛決定往生六十万人」と記した念仏の“名号札”を配る賦算(ふさん)をしながら全国を遊行した。信者もともに集団をつくってそれに従ったという。
毎日六回、同じ時刻に念仏を称える念仏者を六時衆(ろくじしゅう)といった。これら信徒を「時衆」といい、これがのちに「時宗」と呼ばれるようになった。
国宝 一遍聖絵 第六巻(遊行寺 蔵) 片瀬浜の踊り念仏の様子
空也上人(902年~972年)が京都市中で民間布教のため、鉢をたたきながら「南無阿弥陀佛」をとなえた「鉢たたき念仏」で人々に念仏をすすめたのが起源。これを一遍上人が受け継いだ。以後、踊りを主体とする「念仏踊り」へと変質し、賦算しながの諸国遊行で日本国中に爆発的に広まった。
この「踊り念仏」は盆踊りの起源とも言われている。
国宝『一遍聖絵』(通称:一遍上人絵伝)には踊りながら念仏を唱える遊行僧と信者の姿がみえる。
時宗の本尊は“阿弥陀如来”である。ただし、一遍上人は、それを身近に具体化したものとして、「南無阿弥陀佛」という名号を本尊とする、と信徒には教えている。
仏壇では、ご本尊は阿弥陀如来で、脇侍は向かって右に宗祖一遍上人、左に二祖真教上人が一般的である。
「浄土三部経」(『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』)だが、とくに『阿弥陀経』が中心。他に六時礼讃など。
時宗 総本山 遊行寺
清浄光寺【しょうじょうこうじ】(神奈川県藤沢市西富)。遊行四代呑海上人の開基で、俗に“遊行寺(ゆぎょうじ)”とも呼ばれている。
総本山 遊行寺HP http://www.jishu.or.jp
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戒名を名号(みょうごう)とも言い、道号に男性は「○阿」、女性は「○弌(いち)」の文字が使われる。
位牌には一般的に置字は付けず、戒名の文字だけとなる。
浄土宗の開祖、法然上人はさとりに至るいくつかの方法のなかから、特に念仏を選び取った(選択念仏)。浄土真宗の開祖、親鸞上人は、阿弥陀仏への信心が起きたときにすでに救われると説く。
一遍上人の教えは、これからさらに進んで、「南無阿弥陀佛」という名号そのものに絶対的な力があるという。したがって衆生の信・不信、浄・不浄は関係ない。ひたすら名号を唱えれば、阿弥陀如来と衆生と名号が渾然一体となり、そこに救いの世界があるとする。
一遍上人は、こうした信仰を名号札を配る“賦算(ふさん)”と“踊り念仏”によって広めようと全国を遊行した。
時宗のお寺 光明寺 お気軽に何でもお問合せください。 ※お参りなどで留守の場合がございます。不在時は伝言をお願い致します。 電話番号 06-6472-4867 FAX番号 06-6472-4868 メールアドレス koike@koumyouzi.jp 住所 〒555-0032 大阪市西淀川区大和田5-17-7
24/10/12
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開祖
時宗とは浄土宗西山派だった一遍上人(いっぺんしょうにん)(1239年~1289年)によって開宗。熊野権現(くまのごんげん)より神託を受けた1274年を開宗の時とする。
一遍上人が念仏をとなえながら全国各地(北は岩手の陸奥から南は九州大隅)を布教のために遊行したところから『遊行宗』とも呼ばれ、一遍上人も『遊行上人』とも呼ばれている。
その特色は、鉦や太鼓などを打ち鳴らし、念仏をとなえながら踊り歩いて、宗教的法悦にひたるという“踊り念仏”にある。
時宗は今でこそ、全国寺院数410ヶ寺ほどの小さな宗派にすぎないが、南北朝から室町時代にかけては大きな勢力があった。全国各地に遊行僧がちらばっていたので、南北朝の動乱期には従軍僧や密使として活躍していた。さらに、室町文化の成立にも時宗の僧たちが多くの役割をはたした。
ことに、兼好、浄弁、慶運とともに、和歌四天王と呼ばれた頓阿(とんな)が有名である。
一遍上人の跡は、弟子の他阿(たあ)真教上人が継ぎ(一遍上人は自阿【じあ】という)、諸国に道場を開いて宗門の基礎を固めた。以後、代々の宗主が他阿の名を冠している。
名号札
教えの特徴
一遍上人の思想は、浄土真宗の親鸞上人の「衆生が阿弥陀仏を信じたときに救われる(極楽浄土で往生できる)」という考えをさらに一歩すすめたもので、「信仰の有無にかかわらず、南無阿弥陀佛という名号をとなえれば、阿弥陀如来が衆生を救ってくれる(極楽浄土で往生できる)」とするもの。
この他力念仏をすべての人々にすすめ、もろともに極楽浄土での往生を願った一遍上人は、生涯を通じて「南無阿弥陀佛決定往生六十万人」と記した念仏の“名号札”を配る賦算(ふさん)をしながら全国を遊行した。信者もともに集団をつくってそれに従ったという。
毎日六回、同じ時刻に念仏を称える念仏者を六時衆(ろくじしゅう)といった。これら信徒を「時衆」といい、これがのちに「時宗」と呼ばれるようになった。
国宝 一遍聖絵 第六巻(遊行寺 蔵) 片瀬浜の踊り念仏の様子
踊り念仏
空也上人(902年~972年)が京都市中で民間布教のため、鉢をたたきながら「南無阿弥陀佛」をとなえた「鉢たたき念仏」で人々に念仏をすすめたのが起源。これを一遍上人が受け継いだ。以後、踊りを主体とする「念仏踊り」へと変質し、賦算しながの諸国遊行で日本国中に爆発的に広まった。
この「踊り念仏」は盆踊りの起源とも言われている。
国宝『一遍聖絵』(通称:一遍上人絵伝)には踊りながら念仏を唱える遊行僧と信者の姿がみえる。
本尊
時宗の本尊は“阿弥陀如来”である。ただし、一遍上人は、それを身近に具体化したものとして、「南無阿弥陀佛」という名号を本尊とする、と信徒には教えている。
仏壇では、ご本尊は阿弥陀如来で、脇侍は向かって右に宗祖一遍上人、左に二祖真教上人が一般的である。
依りどころとする経典
「浄土三部経」(『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』)だが、とくに『阿弥陀経』が中心。他に六時礼讃など。
時宗 総本山 遊行寺
総本山
清浄光寺【しょうじょうこうじ】(神奈川県藤沢市西富)。遊行四代呑海上人の開基で、俗に“遊行寺(ゆぎょうじ)”とも呼ばれている。
総本山 遊行寺HP http://www.jishu.or.jp
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時宗の戒名
戒名を名号(みょうごう)とも言い、道号に男性は「○阿」、女性は「○弌(いち)」の文字が使われる。
位牌には一般的に置字は付けず、戒名の文字だけとなる。
念仏のとらえ方
浄土宗の開祖、法然上人はさとりに至るいくつかの方法のなかから、特に念仏を選び取った(選択念仏)。浄土真宗の開祖、親鸞上人は、阿弥陀仏への信心が起きたときにすでに救われると説く。
一遍上人の教えは、これからさらに進んで、「南無阿弥陀佛」という名号そのものに絶対的な力があるという。したがって衆生の信・不信、浄・不浄は関係ない。ひたすら名号を唱えれば、阿弥陀如来と衆生と名号が渾然一体となり、そこに救いの世界があるとする。
一遍上人は、こうした信仰を名号札を配る“賦算(ふさん)”と“踊り念仏”によって広めようと全国を遊行した。
時宗のお寺 光明寺
お気軽に何でもお問合せください。
※お参りなどで留守の場合がございます。不在時は伝言をお願い致します。
電話番号 06-6472-4867
FAX番号 06-6472-4868
メールアドレス koike@koumyouzi.jp
住所 〒555-0032 大阪市西淀川区大和田5-17-7