極楽浄土の世界とは

浄土門 時宗 光明寺

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極楽浄土の世界とは

仏事あ.ら.かると

2017/07/28 極楽浄土の世界とは

極楽のありか

“極楽世界”とはどこにあるのか・・・・?どの仏教書をひもといても、極楽は「西方十万憶仏国土をすぎたところ」と書いてあるだけである。

 

しかし、これは娑婆の世界(つまり、私たちの世界)での距離感や方向感覚で測ったものではない。“極楽世界”は輪廻とは無縁の世界、すべての煩悩から解脱(げだつ)した世界である。したがって、この世にもあの世(冥途の世界)にも存在しないのである。しいていうならば、私たちの太陽系が所属する銀河系宇宙の、その外にある宇宙・・・・たとえばアンドロメダ星雲、あるいはまったく異次元にあるパラレルワールドなどがその場所、というところだろうか。いずれにせよ、私たちの世界からはるかかなたに離れた場所である。

 

そして、この“極楽”へ生まれ変わる人間は、臨終の際に断末魔の苦しみに襲われることもなければ、冥途の暗い死出の山をさまよい歩き七度の裁判にかけられることもない。

 

なぜなら、仏が特別のはからいで、面倒な手続きを一切踏むことなく、極楽へ招待してくれるからである。

 

では、そもそも“極楽”とは何なのか・・・・?ほかでもない、仏が自らの力でつくりあげた世界なのである。そして、この世界を私たちは「仏国土(ぶっこくど)」と呼んでいる。この仏国土に招待される資格を持つ人は、もちろん生前に多くの善業を積み上げた超善人だけ。そしてこの仏国土では、天界の住人のように「天人の五衰(ごすい」があらわれる輪廻の苦悩もない。私たちはとかく“天界”と“極楽”混同しがちだが、まったくちがうものなのである。

極楽の生活

「極楽」は、いたれりつくせりの理想郷である。遠く地平線を眺めれば五百億もの宮殿や楼閣(ろうかく)がそびえたち、一日中ここちよい仏の声がどこからともなく響き渡り、あたり一面には馥郁(ふくいく)たる香りが漂っている。

 

樹木には宝石がちりばめられ、川や池には金砂、銀砂が敷きつめられている。人びとはその金砂の川、銀砂の池で舟遊びに興じ、妙(たえ)なる音楽を奏で、七色の華をまき散らす。

 

この川や池には、八つの功徳そなわっているろいう。それは、①澄んでいる、②清らか、③甘露、④軽くやわらか、⑤つややか、⑥おだやか、⑦患いを癒す、⑧飲めば力がみなぎる・・・・の八つだ。

 

住居も豪華な宮殿造りで、全体が四宝(金・銀・瑠璃・水晶)で飾られ、庭園には七宝(金・銀・瑠璃・水晶・シャコ貝・サンゴ・瑪瑙)の池、そしてそこには車輪のように大きな蓮華の花が絶えす咲き乱れている。

 

住人は体そのものが金色に輝き、縫い目のない衣装をまとい、あらゆる種類の装身具で美しく飾りたてている。そして空腹時には七宝でつくられた食卓がどこからともなくあらわれ、その上には各人の好みに応じた山海の珍味がふんだんに盛られ出てくる。満腹になれば、その食卓は自然に片付いてしまう。

 

これはほんの一部で、まだまだたくさんあり、ことばで語りつくせぬほどの荘厳な世界・・・・それが“極楽”なのである。

 

しかい、この極楽での生活は、けっして怠け者のためにあるのではない。極楽世界の住人は日々、仏の説法に耳をかたむけ、修行に励んでいるのである。つまり“極楽世界”とは、仏が準備した一大仏道修行の道場で、いたれりつくせりの待遇も、住人が何の不自由もなく仏道修行に専念できるようにとの、仏の配慮によるものなのである。

阿弥陀四十八願

この“極楽世界”の正式名称は「西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)」なのである。そしてここは阿弥陀如来が建立した仏国土とされている。つまり“極楽”は、一つだけではないのである。宇宙には無数の諸仏がおり、その無数の諸仏は各自それぞれに自分の国土・・・・仏国土を持っているのである。したがって“極楽”は諸仏の数だけある、ということになる。

 

「西方極楽浄土」もまた、阿弥陀如来という名の仏が建立した、数多い“極楽”の一つなわけである。

 

では、阿弥陀如来は、具体的にどのようにして自分の仏国土をつくったのか。

 

「本願寺」という寺が日本各地にあるが、この“本願”という名称が阿弥陀如来が仏になる前にたてた四十八願の誓い(阿弥陀の四十八願)を意味しているのである。

 

そして阿弥陀如来は、この願を成就することにより、自ら仏となって“仏国土=極楽浄土”を建立したのである。いいかえると“極楽浄土”は、この四十八願すべてを実現された世界といえる。

 

したがって、極楽浄土の成立を知るためには、この四十八願の内容をまず知らなければならないということになる。

 

・・・・はるか昔、あるところに無諍念王(むじょうねんおう)という王がいた。その王が出家し、名を「法蔵(ほうぞう)」と改めて修行をしたのが、世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏のもと。

 

その修行中に法蔵は、世自在王仏から二百十億もの仏国土を案内してもらう機会に恵まれた。そして、自分もまた優れた浄土を建立したいと思い立ち、そのありようを四十八の願にまとめた。これが四十八願がたてられるようになった経緯であり、法蔵その人こそ、仏となる前の阿弥陀如来なのである。

 

その四十八願の内容の重要なものは以下のものである。

 

まず阿弥陀如来ーとういより法蔵は、光明無量、寿命無量でありたいという願をたてた。光明とは智慧を寿命とは慈悲を象徴している。法蔵は、自分の智慧も慈悲も限りがあってはならない、との願いをたてた(したがって、その浄土で生れる人もまた光明無量、寿命無量ということになる)。

 

次にーというより、これが最も重要な願で“王本願(おうほんがん)”と呼ばれる十八番目の誓いがある。それは、

 

「どんな悪人でもかまわない。心の底から私を信じ、極楽浄土に生まれ変わりたいと願うものがいて、わずか十遍でも『南無阿弥陀仏』と私の名号をとなえたなら、その者を必ずこの浄土に生まれるようにしたい。」

 

というものであり、さらに、

 

「私が仏になることができても、この四十八願が一つでも成就しないならば、私は絶対に仏とならない」

 

という誓いであった。いっさいの衆生が救われない限り、自分も救われてはならない・・・・という決意表明である。まさに厳しい誓いであった。

 

その法蔵が現に、阿弥陀如来となっている。仏となって極楽浄土を治めている。すなわち、この四十八願が“西方極楽浄土”では成就されている証拠なのである。

 

遠い遠い極楽浄土も『南無阿弥陀佛』と信じて称えれば、すぐそこに見えて感じるのかもしれない。

 

 

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