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浄土三部経(じょうどさんぶきょう)
一切の衆生に成仏の可能性を与えた大乗仏教では、結果的に多くの仏を生み出し、それぞれの仏の理想の世界(=浄土)が形成された。そして人々は、そこに往生することを願うようになった。これはインドの、死んで天に生じる生天思想の潮流を受けたものである。
浄土は仏の数だけ存在するわけだが、このうち弥勒の兜率天(とそつてん)の浄土、阿閦仏(あしゅくぶつ)の東方妙喜国の浄土、阿弥陀仏の西方極楽浄土がよく知られている。極楽といえば、すぐに阿弥陀仏の極楽と同一と考えられているが、必ずしもそうではないのである。しかし中国で善導大師らによって極楽浄土の思想が確立され、阿弥陀仏信仰が大いに発展し、日本にも大きな影響を与えることになった。そこで我々は、浄土といえば特に阿弥陀仏の極楽世界を指すようになったのである。
阿弥陀仏の極楽浄土を解く経典はたくさんあるが、その中で最も重要な経典が『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』の三経、いわゆる浄土三部経である。この三経は善導大師によって重視され、わが国の浄土宗の開祖、法然上人によって初めて「浄土三部経」という言葉が用いられた。
正式には『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』という。
『無量寿経』とは、浄土三部経の中で、もっとも大きい経典で梵語は「スカーヴァティーヴユーハ」といい、「極楽荘厳」を意味するといわれている。漢訳は十二種伝えられたが、現存するのは五訳のみである。この五訳を比較すると内容が多少異なっており、経の増広過程をうかがうことができる。たとえば、本願文について、二十四願を説くもの、三十六願を説くもの、四十八願を説くもの、という三種グループに分類される。二十四願系が一番古いとされ、これに基づいて、三十六願系、四十八願系へと増広されていったと考えられている。現存する梵語やチベット訳は四十八願系である。
本経は、王舎城(おうしゃじょう)近郊の霊鷲山(りょうじゅせん)で、釈尊が阿弥陀仏について説法するというものである。
かつて世自在王(せじざいおう)という仏が現れたとき、一人の国王が、この仏の法を聴聞し、出家して法蔵比丘(ほうぞうびく)となった。そして自らの仏国土を建設するための誓願(本願)立てた。法蔵比丘は、これらの誓願を実現するために、はかりしれない時間をかけ、多くの衆生を救済し、無量の功徳を重ねた。このようにして誓願を成就し、阿弥陀仏となったのである。その仏国土は安楽(=浄土)と呼ばれ、ここを去ること十万憶土の西方にあるといわれている。
以上のように、本題ではまず法蔵比丘の誓願とその完成が述べられている。続いて、阿弥陀仏の光明と寿命が優れていること、その極楽世界の描写、三輩往生(さんぱいおうじょう)などが説かれている。
このうち三輩往生とは、どのような衆生がこの極楽浄土へ往生するのか、三つの場合に分類されたものである。それは、
①出家して、一心に阿弥陀仏を念じて往生を願う者(上輩)
②出家しなくても、阿弥陀仏を一心に念じ、塔や仏像を作るなどの善業を積んで往生を願う者(中輩)
③善業をなすことができなくても、十念或いは一念なりとも至誠の心をもって往生を願う者(下輩)
の三つの場合に分類し、そのいずれもが極楽往生ができると説かれている。
本経では、阿弥陀仏の理想社会へ生まれることが究極の目的とされ、その救済的性格がうかがえる。そしてその後の浄土思想の展開において、本経の果たした役割は大変大きいといえるであろう。
正式には『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』という。
『阿弥陀経』の梵語も「スカーヴァティーヴユーハ」であり、上項の『無量寿経』と同名である。したがって、梵語原典を扱う場合、両者の経文の長さから区別して、『無量寿経』をLarger Sukhāvativyūha´『阿弥陀経』をSmaller Sukhāvativyūhaと呼んでいる。そこから『無量寿経』を“大経”と称し、『阿弥陀経』を“小経”とも称する。漢訳には鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『阿弥陀経』と玄奘(げんじょう)訳の『称讃浄土仏摂受経(しょうさんじょうどぶっせつじゅきょう)』の二本があるが、鳩摩羅什訳が一般に用いられている。
『阿弥陀経』は小さな経典で、『無量寿経』の内容を簡潔にした形となっている。
まず最初に、極楽世界の描写、阿弥陀仏と極楽世界の住人の寿命の無量性等々、理想世界のありさまが説き明かされている。そしてこのような極楽世界へ往生したい、という願いを発すべきであることが強調され、阿弥陀仏の名号を一心に称えることを一日ないし七日におよべば、臨終に際して、必ず阿弥陀仏が来迎し、極楽往生できるとされる。
正式には『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』という。
『観無量寿経』とは、代表的な浄土経典だが、同時に、観思想を説いている一連の「観経(かんぎょう)」というジャンルにも位置づけられる。しかし、『観経』といった場合、この経典の略称として固有名詞的に用いるのが普通である。
本経の原典は畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)が訳した漢訳が一本あるだけで、梵本・チベット訳も知られていない。したがってこの経典が成立したのはインドではなく、中央アジアまたは中国ではないかと考える学説が有力である。
本経ではまず、有名な王舎城(おうしゃじょう)の悲劇が語られている。以下、概要はこうである。
釈尊が仏弟子と共に霊鷲山(りょうじゅせん)におられるとき、王舎城ではたいへんなことが起こった。マガダ国の皇太子阿闍世(あじゃせ)が悪友の仏弟子菩提婆達(だいばだった)にそそのかされ、国王位を早く得るために父頻婆娑羅王(びんばらしゃおう)を幽閉し、餓死させようとした。これを聞いた韋提希(いだいけ)夫人(阿闍世の実母)は、密かに体を麦粉と蜜で塗り、牢に入って王に食べさせていた。ところがこれを知った阿闍世は剣を取って母親を殺そうとした。さすがに家来二人によって止められたが、夫人も幽閉されてしまった。
悲嘆にくれた夫人は、釈尊に救いを求め、このような親子の骨肉の争いのない阿弥陀仏の浄土へ生まれたいと願った。このような夫人の願いによって、釈尊は浄土を見るための十六の観想法を説き示した。
その十六の観想法とは次のようなものである。
⑴日想観 ⑵水想観 ⑶宝地観(ほうじかん) ⑷宝樹観 ⑸宝池観(ほうちかん) ⑹宝楼観 ⑺華座観 ⑻像想観 ⑼真身観 ⑽観音観 ⑾勢至観 ⑿普観 ⒀雑想観 ⒁上輩観 ⒂中輩観 ⒃下輩観
このうち十三番目の雑想観までが極楽浄土の観想で、いわゆる定善十三観といわれるもので、十四番目以下の三観は、散善三観といわれる。これは、上品上生から下品下生までの九品の極楽往生のあり方が説かれている。
このような釈尊の説法を聞いた韋提希夫人は大悟し、五百人の待女も菩提心(悟りを求める心)を起こし、極楽に生まれることを願ったのだ。
浄土門 時宗 光明寺
24/10/13
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一切の衆生に成仏の可能性を与えた大乗仏教では、結果的に多くの仏を生み出し、それぞれの仏の理想の世界(=浄土)が形成された。そして人々は、そこに往生することを願うようになった。これはインドの、死んで天に生じる生天思想の潮流を受けたものである。
浄土は仏の数だけ存在するわけだが、このうち弥勒の兜率天(とそつてん)の浄土、阿閦仏(あしゅくぶつ)の東方妙喜国の浄土、阿弥陀仏の西方極楽浄土がよく知られている。極楽といえば、すぐに阿弥陀仏の極楽と同一と考えられているが、必ずしもそうではないのである。しかし中国で善導大師らによって極楽浄土の思想が確立され、阿弥陀仏信仰が大いに発展し、日本にも大きな影響を与えることになった。そこで我々は、浄土といえば特に阿弥陀仏の極楽世界を指すようになったのである。
阿弥陀仏の極楽浄土を解く経典はたくさんあるが、その中で最も重要な経典が『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』の三経、いわゆる浄土三部経である。この三経は善導大師によって重視され、わが国の浄土宗の開祖、法然上人によって初めて「浄土三部経」という言葉が用いられた。
無量寿経(むりょうじゅきょう)
正式には『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』という。
『無量寿経』とは、浄土三部経の中で、もっとも大きい経典で梵語は「スカーヴァティーヴユーハ」といい、「極楽荘厳」を意味するといわれている。漢訳は十二種伝えられたが、現存するのは五訳のみである。この五訳を比較すると内容が多少異なっており、経の増広過程をうかがうことができる。たとえば、本願文について、二十四願を説くもの、三十六願を説くもの、四十八願を説くもの、という三種グループに分類される。二十四願系が一番古いとされ、これに基づいて、三十六願系、四十八願系へと増広されていったと考えられている。現存する梵語やチベット訳は四十八願系である。
本経は、王舎城(おうしゃじょう)近郊の霊鷲山(りょうじゅせん)で、釈尊が阿弥陀仏について説法するというものである。
かつて世自在王(せじざいおう)という仏が現れたとき、一人の国王が、この仏の法を聴聞し、出家して法蔵比丘(ほうぞうびく)となった。そして自らの仏国土を建設するための誓願(本願)立てた。法蔵比丘は、これらの誓願を実現するために、はかりしれない時間をかけ、多くの衆生を救済し、無量の功徳を重ねた。このようにして誓願を成就し、阿弥陀仏となったのである。その仏国土は安楽(=浄土)と呼ばれ、ここを去ること十万憶土の西方にあるといわれている。
以上のように、本題ではまず法蔵比丘の誓願とその完成が述べられている。続いて、阿弥陀仏の光明と寿命が優れていること、その極楽世界の描写、三輩往生(さんぱいおうじょう)などが説かれている。
このうち三輩往生とは、どのような衆生がこの極楽浄土へ往生するのか、三つの場合に分類されたものである。それは、
①出家して、一心に阿弥陀仏を念じて往生を願う者(上輩)
②出家しなくても、阿弥陀仏を一心に念じ、塔や仏像を作るなどの善業を積んで往生を願う者(中輩)
③善業をなすことができなくても、十念或いは一念なりとも至誠の心をもって往生を願う者(下輩)
の三つの場合に分類し、そのいずれもが極楽往生ができると説かれている。
本経では、阿弥陀仏の理想社会へ生まれることが究極の目的とされ、その救済的性格がうかがえる。そしてその後の浄土思想の展開において、本経の果たした役割は大変大きいといえるであろう。
阿弥陀経(あみだきょう)
正式には『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』という。
『阿弥陀経』の梵語も「スカーヴァティーヴユーハ」であり、上項の『無量寿経』と同名である。したがって、梵語原典を扱う場合、両者の経文の長さから区別して、『無量寿経』をLarger Sukhāvativyūha´『阿弥陀経』をSmaller Sukhāvativyūhaと呼んでいる。そこから『無量寿経』を“大経”と称し、『阿弥陀経』を“小経”とも称する。漢訳には鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『阿弥陀経』と玄奘(げんじょう)訳の『称讃浄土仏摂受経(しょうさんじょうどぶっせつじゅきょう)』の二本があるが、鳩摩羅什訳が一般に用いられている。
『阿弥陀経』は小さな経典で、『無量寿経』の内容を簡潔にした形となっている。
まず最初に、極楽世界の描写、阿弥陀仏と極楽世界の住人の寿命の無量性等々、理想世界のありさまが説き明かされている。そしてこのような極楽世界へ往生したい、という願いを発すべきであることが強調され、阿弥陀仏の名号を一心に称えることを一日ないし七日におよべば、臨終に際して、必ず阿弥陀仏が来迎し、極楽往生できるとされる。
観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)
正式には『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』という。
『観無量寿経』とは、代表的な浄土経典だが、同時に、観思想を説いている一連の「観経(かんぎょう)」というジャンルにも位置づけられる。しかし、『観経』といった場合、この経典の略称として固有名詞的に用いるのが普通である。
本経の原典は畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)が訳した漢訳が一本あるだけで、梵本・チベット訳も知られていない。したがってこの経典が成立したのはインドではなく、中央アジアまたは中国ではないかと考える学説が有力である。
本経ではまず、有名な王舎城(おうしゃじょう)の悲劇が語られている。以下、概要はこうである。
釈尊が仏弟子と共に霊鷲山(りょうじゅせん)におられるとき、王舎城ではたいへんなことが起こった。マガダ国の皇太子阿闍世(あじゃせ)が悪友の仏弟子菩提婆達(だいばだった)にそそのかされ、国王位を早く得るために父頻婆娑羅王(びんばらしゃおう)を幽閉し、餓死させようとした。これを聞いた韋提希(いだいけ)夫人(阿闍世の実母)は、密かに体を麦粉と蜜で塗り、牢に入って王に食べさせていた。ところがこれを知った阿闍世は剣を取って母親を殺そうとした。さすがに家来二人によって止められたが、夫人も幽閉されてしまった。
悲嘆にくれた夫人は、釈尊に救いを求め、このような親子の骨肉の争いのない阿弥陀仏の浄土へ生まれたいと願った。このような夫人の願いによって、釈尊は浄土を見るための十六の観想法を説き示した。
その十六の観想法とは次のようなものである。
⑴日想観 ⑵水想観 ⑶宝地観(ほうじかん) ⑷宝樹観 ⑸宝池観(ほうちかん) ⑹宝楼観 ⑺華座観 ⑻像想観 ⑼真身観 ⑽観音観 ⑾勢至観 ⑿普観 ⒀雑想観 ⒁上輩観 ⒂中輩観 ⒃下輩観
このうち十三番目の雑想観までが極楽浄土の観想で、いわゆる定善十三観といわれるもので、十四番目以下の三観は、散善三観といわれる。これは、上品上生から下品下生までの九品の極楽往生のあり方が説かれている。
このような釈尊の説法を聞いた韋提希夫人は大悟し、五百人の待女も菩提心(悟りを求める心)を起こし、極楽に生まれることを願ったのだ。
浄土門 時宗 光明寺
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