聖徳太子は仏教発展の基礎を確立した

浄土門 時宗 光明寺

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聖徳太子は仏教発展の基礎を確立した

仏事あ.ら.かると

2017/12/09 聖徳太子は仏教発展の基礎を確立した

聖徳太子

大阪市西淀川区、淀川区のお参りでした。

 

前回の“仏教のはじまり”から、その後の日本仏教の礎を築いた聖徳太子とは・・・・・

本名、厩戸皇子(うまやどのおうじ)(574年~622年)は幼少時より非常に聡明で、弱冠二十歳のときに推古天皇が即位する(593年)と同時に摂政(天皇に代わって政治を行う地位)となりました。

推古天皇は日本初の女帝で太子は初の摂政です。

内外の学問に通じ、遣隋使を派遣して積極的に大陸文化の移入に努めたほか、冠位十二階の制度を定めて官僚機関を整備し、「十七条の憲法」などを定め、日本の政治や文化に数々の功績を残しました。

 

『法華経』などの経典のすぐれた注釈書を書き、四天王寺や法隆寺、広隆寺をはじめとする多くの寺院を建立しました。

仏教を深く理解した最初の日本人で“和を以て貴しとなす”で始まる「十七条の憲法」は、仏教思想によって国の指針を示したものです。

その第二条には「篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧なり。・・・」とうたわれ、仏教は国教として正式に認められました。

輝かしい業績を残した生涯は早くから伝説化され、没後まもなくから聖人として崇められたといいます。

“和の国の教主”“日本仏教の祖”として称えられていきます。

 

時代が下っていくと年齢別の像などが造られ、太子信仰が盛んになります。

二歳の南無仏陀像(なむぶっだぞう)、七歳の看経像(かんぎょうぞう)、十六歳の孝養像(こうようぞう)、三十五歳の摂政像(せっしょうぞう)など各年代を代表する像が造られています。

南無仏陀像は二歳の時に初めて仏を礼拝した折の像で、看経像は七歳にして初めて仏典を読んだときの像です。

孝養像は父親の用明天皇(ようめいてんのう)の病気平癒(へいゆ)を願ったときの像です。

そして、聖徳太子は二十歳で推古天皇の摂政となりましたが、摂政像はまさに働き盛りの聖徳太子の姿をあらわしたものです。

旧一万円札で知られているのがこの像です。

これらの像は太子信仰が広がっていくとともに、盛んに造られるようになり、今でも南無仏陀像などを安置している寺院は各地に点在しています。

 

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