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三蔵とはお経の三つのジャンル 経・律・論
大阪府豊中市、吹田市、大阪市西淀川区、兵庫県宝塚市のお参りでした。
お釈迦様は「八万四千の法門(はちまんしせんのほうもん)」を説いたといわれています。
つまり、八万四千もの経典があることになります。
これは、実際の数ではありませんが、経典は膨大な数となります。
この膨大な経典をほとんど収録する「一切経(いっさいきょう)」「大蔵経(だいぞうきょう)」という叢書(そうしょ)が中国や日本で早くから編纂(へんさん)され、日本で現在、一般に使われている「大正新脩大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)」という叢書は電話帳ほどの厚さの本が100冊にもなります。
そして、このような膨大な経典はその内容から経(きょう)・律(りつ)・論(ろん)の三つのジャンルに分類されます。
・経とは
お釈迦様が説いた教えで、仏教の思想や戒めの言葉などが説かれたものです。
たとえば、「阿弥陀経」「法華経」などといった経典にあたります。
ただし、これらの経典はお釈迦様が入滅されてから数百年経ってできたものです。
・律とは
いわゆる戒律(かいりつ)のことで、仏教教団の規則です。
男性僧侶が守るべき戒律は250、尼僧にいたっては348にものぼります。
そして、戒律を犯したときにどのように償うのかといったことも細かく説かれているので、律は膨大な量になります。
・論とは
経や律に対しての注釈書、または経や論について後の学僧が独自の理論を収めた思想書です。
たとえば、「阿弥陀経」や「法華経」などに対する注釈書、あるいは仏教哲学をといた思想書です。
この経・律・論の仏典を収めた蔵という意味で三蔵(さんぞう)といい、経典はこの三つがあってはじめて完全なものになります。
この三蔵を全て読破し仏教に精通した僧侶のことを三蔵法師といいます。
三蔵法師といえば「西遊記」でお馴染みの玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の固有名詞のように思われがちですが、玄奘三蔵は大勢いる三蔵法師の中の一人です。
三蔵の中では経蔵が最初に編纂され、次に律蔵、最後に論蔵が出来上がりました。
論蔵は経蔵と律蔵の注釈書ですから、当然のこと最後の成立となります。
お釈迦様の入滅後100年ほど経った時、教団内に戒律についての異論が持ち上がります。
改革派の僧侶たちは「釈尊が亡くなって100年も経っているのだから、戒律も時代に即したものに変えるべきだ」と主張します。
これに対し保守的な僧侶は「むやみに変えることはあってはならない」と主張します。
議論しても両者の折り合いは付かず、改革派の主張はやがて大乗仏教の源流となり、保守派の釈尊の時代と寸分違わない戒律を守る上座部仏教(小乗仏教)との枝分かれになったといわれています。
そこで、戒律の決定版を作るべく、律蔵が編纂されたといいます。
さらに100年ほど経った紀元前三世紀ごろ、経と律についての注釈書である論蔵が編纂され、三蔵が完成したといわれています。
24/10/12
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大阪府豊中市、吹田市、大阪市西淀川区、兵庫県宝塚市のお参りでした。
お釈迦様は「八万四千の法門(はちまんしせんのほうもん)」を説いたといわれています。
つまり、八万四千もの経典があることになります。
これは、実際の数ではありませんが、経典は膨大な数となります。
この膨大な経典をほとんど収録する「一切経(いっさいきょう)」「大蔵経(だいぞうきょう)」という叢書(そうしょ)が中国や日本で早くから編纂(へんさん)され、日本で現在、一般に使われている「大正新脩大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)」という叢書は電話帳ほどの厚さの本が100冊にもなります。
そして、このような膨大な経典はその内容から経(きょう)・律(りつ)・論(ろん)の三つのジャンルに分類されます。
・経とは
お釈迦様が説いた教えで、仏教の思想や戒めの言葉などが説かれたものです。
たとえば、「阿弥陀経」「法華経」などといった経典にあたります。
ただし、これらの経典はお釈迦様が入滅されてから数百年経ってできたものです。
・律とは
いわゆる戒律(かいりつ)のことで、仏教教団の規則です。
男性僧侶が守るべき戒律は250、尼僧にいたっては348にものぼります。
そして、戒律を犯したときにどのように償うのかといったことも細かく説かれているので、律は膨大な量になります。
・論とは
経や律に対しての注釈書、または経や論について後の学僧が独自の理論を収めた思想書です。
たとえば、「阿弥陀経」や「法華経」などに対する注釈書、あるいは仏教哲学をといた思想書です。
この経・律・論の仏典を収めた蔵という意味で三蔵(さんぞう)といい、経典はこの三つがあってはじめて完全なものになります。
この三蔵を全て読破し仏教に精通した僧侶のことを三蔵法師といいます。
三蔵法師といえば「西遊記」でお馴染みの玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の固有名詞のように思われがちですが、玄奘三蔵は大勢いる三蔵法師の中の一人です。
三蔵の中では経蔵が最初に編纂され、次に律蔵、最後に論蔵が出来上がりました。
論蔵は経蔵と律蔵の注釈書ですから、当然のこと最後の成立となります。
お釈迦様の入滅後100年ほど経った時、教団内に戒律についての異論が持ち上がります。
改革派の僧侶たちは「釈尊が亡くなって100年も経っているのだから、戒律も時代に即したものに変えるべきだ」と主張します。
これに対し保守的な僧侶は「むやみに変えることはあってはならない」と主張します。
議論しても両者の折り合いは付かず、改革派の主張はやがて大乗仏教の源流となり、保守派の釈尊の時代と寸分違わない戒律を守る上座部仏教(小乗仏教)との枝分かれになったといわれています。
そこで、戒律の決定版を作るべく、律蔵が編纂されたといいます。
さらに100年ほど経った紀元前三世紀ごろ、経と律についての注釈書である論蔵が編纂され、三蔵が完成したといわれています。
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